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【自分語り】過去編(5) 大学時代 …の思い出はほとんどないです。

2011⁄09⁄30(金) 01:02
こんばんわ。

短期集中連載的に続けてきた過去編も大学時代まで進み、
いよいよクライマックスです!!

別に誰も期待してくれていないでしょうが、
今日もエピソードを綴っていきますか(爆)
そんなこと過去編をはじめる前から知っていましたよ。。

しかし、それにも関わらずなんでこんなこと続けているんだろう。
過去を明かすことは自分が特定されるリスクを増やす以外ないのに。。

それはたぶん自分がここにいたことを証明するなにかを残しておきたかったからだろう。

自己顕示欲?

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【自分語り】過去編(4) 高校時代 あまりの酷さになんか泣けてきた。。

2011⁄09⁄28(水) 01:49
こんばんわ。

今、過去編の舞台となっている母方の実家ですが、
これが当ブログでも何度かエントリーしたことある夏季休暇中の帰省先です。
(どうでもいいとは思いますが一応補足です。。)

それから、この高校を選んだ積極的な理由を思い出したので、追記。
・家から一番近い高校だった
・制服がブレザー
(うん、たいした理由じゃなかったな)


さて、つづきです。

無事、高校進学を果たした私ですが、
相変わらず学校では猫をかぶって優等生面を続けていました。

ちなみに中学、高校も運動部に入ってそれなりに学生っぽい活動はしてました。中高それぞれ別の部活でしたが、どちらも運動神経なくて全然芽は出ませんでした。それでも真面目に頑張っていました。

高校では自分の内申点のために生徒会にも所属していました。

これはあくまで結果論ですが、
無理して偏差値の高い高校に行って苦労することもなく、
自分が優位となる環境でパフォーマンスを発揮できたことがよかった。

たぶん当時この高校から行けるであろう最高位に近い国公立大学に推薦入試で入ることができた。
まぁ、偏差値では52とからしいけどwww

それでも、英語が足引っ張っていた当時の成績では絶対行けなかった大学です。

実は高校時代最初の模試ではかなり成績がよかったらしく先生に褒められた。
おそらく全国の高校生の多くが勉強に本腰を入れていないときだったからだろう。
自分で言うのもあれですが、自頭はそんなに悪くないようだが、人前ではやってるフリをしているが見られていないところですぐ怠ける性格が災いしてか、すぐに頑張る人に抜かれていく。

ただ、表面上の真面目さで、他人からの評価は実力以上のことが多い。
それだけがとりえのような人生だ。


この国公立大学を希望した理由として、
一番はなにより母との約束である国公立であったことですが、
祖母の家と言っても居候的な被害妄想もあったし、場所が田舎すぎるのも加わり、家から出たくて仕方なかった。
距離的にもぎりぎり通うのが困難な隣県にある都会の大学で一人暮らしという理想的なシチュエーションであった。

ほんとうにこのくらいの理由で大学を決めていた。
将来の展望や学びたい分野など、そんなことを考えたことはなかった気がする。

とりあえず、大学でやりたいことを探そうと、それっぽい経済学部を選んだ。
正直経済学部がなにを学ぶところかよく分からず決めた。

ほんとに人生舐めていた。

つづく。

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【自分語り】過去編(3) 田舎での怠惰な日々

2011⁄09⁄27(火) 01:03
こんばんわ。

さて、今夜もやります!!
過去編第3回です。
年齢の上では、現在の約半分を経過。
折り返し地点ですね。


母方の実家から私の中学三年目がはじまる。
祖父はすでに亡くなっていたので、祖母、母、私、弟の4人の生活だ。
祖母はやさしかったが、お世話になっている感もあり他人行儀が続いた。
母親は父親の変わりもしないといけないと思ったのか、
(性的なことまで)色々出しゃばってきたりで正直うざかった。
まぁ、人並みに反抗期も経験しました、ということで。

転校の理由はこっちでもちゃんと言っていなかったな。
たぶん「祖母の体調が悪いから」とか言ってた気がする。
ばぁちゃん、ごめんm(_ _)m
(いや、それは実際ウソではないのだが。。)


それと、転校前の学校では、勉強の出来は中の上くらいだったと思うが、
学校での外面だけの真面目さでそれなりに成績は良かった。

しかし、転校先ではその超過収益力がないため、成績が下がったwww

加えて、嫌悪の対象であった父親が早稲田大学卒だったことから、
『学歴より重要なものがあるんじゃないか?』という逃げ道を作り勉強にはまったく身が入らなかったな。

転校から1年、受験勉強そっちのけでMTGに興じていた。
この頃からの悪友Y氏とはいまでもつるむ仲だ。
しかし、母がパートで稼いでいるなか紙切れを買い漁る学生時代。。ひどい。


市内には公立高校が2つあり、
1つは偏差値60、もうひとつは偏差値48だそうだ。
担任との面談で、もう少し頑張れば偏差値60に届くがどうする的は話があったとき、迷うことなく偏差値48で!!と言った気がする。
マジやる気なかったな。。こいつwww

(正直、当時は学歴とか全く興味なく行ければどこでもいいよと思っていたので偏差値とか初めて知った。
偏差値も今ぐぐった値なので当時と若干違うかもしれません)

ただ、家計も余裕がある感じではなかったので、
「高校、大学は国公立で」との注文が母からあり、
偏差値60に受からなかったらやばいと思ったという正当な理由もあります。

なので、行く気のない私立のすべり止めは受験しないとか言って担任を困らせたりしたなwww
説得され結局受験しましたが。。


そして、偏差値48の県立高校に無事合格。
合格発表もなんの感動もなかったな。
基本ひねくれている性格を考慮しても、これは完全に頑張ってないからだな。

つづきます

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【自分語り】過去編(2) 厨二まで

2011⁄09⁄21(水) 01:11
こんばんわ。

さて、大好評()の過去編第2回です。


中学時代。
記憶が少しはっきりしてきたという意味で、
やっと物心ついてきたかなぁという感じです(笑)。

中1の頃は自作のファンタジー?小説を書いていたという黒歴史以外はそれなりにまっとうだったと思う(爆)。
中2時分はMTGにはまっていました。
始めた当時が第5版やテンペストの頃だった気がする。

うん。だんだんヲタ臭くなってまいりました。

前回のエントリーで東海地方に住んでいたのが小6~中2と書いたかと思いますが、この生活にも終わりがきます。予想もしていなかった理由で。


それは、両親の不仲による別居のためです。もう正確な時期は覚えていないですが、いつからか完全に家庭内別居という状況が続いていた。
きっかけがなんだったのかは知らない。

最後は酔った父と母が大喧嘩⇒父方の両親がウチまで来る⇒話し合いの結果『別居』という結論に

当然どちらに付いていくのかという話になるのだが、2歳年下の弟と共に母親の元にいくことにした。どちらに付いていくかの最終的な意思決定はさせて貰った記憶がある。だが、母親の稼ぎだけでは、家族3人で今の地域に暮らしていくのは大変ということで、母方の実家へ引っ越すことになった。

このときは少し惨めな気がして友人たちに引越しの本当の理由は言えず仕舞いだったと思う。
(まぁ、未だに現実世界でこの話題をべらべら話すことはないですが。
個人的にはもう納得しているので特別不幸だったという認識もないのですが、
そう思ってくれない人もいるのでめんどくさいですし、なにより不幸自慢っぽいところがイヤなので)


たぶんこのときの両親に対する気持ちはこんな感じだったと思う。
3対1の一方的な話し合いの中、子供二人を守った母に感謝。
大人になってまで親同伴じゃないと別居もできない父に幻滅。

別れの日、父親は無視したったwww
というか何を話せばいいのか分からなかった。

正直、父親に付いていけばお金に困ることはないだろうし、
若いママができる可能性もゼロではないので一瞬迷ったが(おい)、
生活力という現実的な問題と心情的にも母を放っておけなかったこともあり母に付いていくことにした。我ながらほんと下衆すぎてワロエナイ。


少し先のことを語ると両親のこの状況に関しては今も変化がない。
個人的にはやり直す気がないのなら、さっさと離婚してお互い新しい人生を歩めばいいのにと思うのだが、子供の姓(父方)と変わることが母親としては嫌らしく平行線のまま今に至る。というか、別居後ほぼ連絡を取っていないようだ。

あまり意識したことはないが、こう文字にしてみると、やはり、この思春期の出来事が私の価値観形成に大きな影響を与えていたんだろうなと感じた。

つづく

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【自分語り】過去編(1) 幼少期

2011⁄09⁄19(月) 13:58
こんにちは。
さて、最近はいつものようにブログを更新する気乗りがあまりしないため、
趣向を変えて.tomoyaの半生(まだ短いですが。。)を振り返ってみたいと思います。

まぁ、あまり興味ないかもですが、ちら裏にお付き合い頂けると幸いです。
色々思うところもあるので、今後の人生を考えるうえで自分に向き合ういい機会になればと考えております。
何回かに分けて短期集中連載的にエントリーしていく予定です。

では、『過去編』はじまります!!


西日本のとある場所(母方の実家がある)で生誕。

物心つく前には、父親の仕事の都合で東海地方へ引っ越し。小2まで過ごす。

小2~小5。父親の仕事の都合で関東へ引っ越し。

小6~中2。父親の仕事の都合で東海地方に戻る。同じ市内だが、学区が違うため、ゼロスタート。


いわゆる転勤族ってやつですね。私の記憶力が悪いだけかもですが、正直これだけ引っ越すと小学生の頃の記憶はあいまいだ。人の名前もほとんど覚えていない。

当時はまだケータイというモノも浸透していなかったですし、筆不精であったためこの頃の知り合いとは完全に音信普通だ。

あの頃は何年かすると引っ越していくのが、当たり前と思っていたし、何の疑いもなかった。
振り返って考えると、監査法人という転勤の可能性が低い業種を選んだのもこういった過去がある点が少しばかり影響していたのかもしれない。

まぁ、転校すれば、どんな失敗でも帳消しにできるし、それなりにその利点は享受した気がするwww

ただ、今じゃ考えられないほどの積極性、リーダーシップを発揮し結構モテた記憶がある。どうせこいつらともいつか別れるのだからという思いがあったのか分からないが、かなり思い切った行動をしていた気がする。
…うん。まぁ、何も考えていなかったんだろうなwww

記憶なんてたいてい都合のいいように美化されているものなので、あまりアテにしないほうがいいと思いますが。

つづく

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